Masuk翌朝、周子は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。
天井を見つめながら、昨夜のことを思い出す。あれは夢だったのだろうか。でも、バッグの中には確かに柊の名刺が入っている。
シャワーを浴びて、いつも通りスーツに着替える。鏡に映る自分は、いつもの瀬川周子だ。完璧に整えられた髪。薄く施したメイク。皺一つないブラウス。
でも、目の奥に何か違うものが宿っているような気がした。
「気のせいよ」
周子は鏡に向かって呟いた。
朝食は摂らずに、マンションを出る。駅までの道のりを早足で歩きながら、今日のプレゼンのシミュレーションをする。
電車の中でも、資料を確認する。完璧だ。問題ない。
でも、心のどこかで、柊の声が響いている。
「君は、本当は壊れたいんだろう?」
違う
周子は首を振った。隣に座っていたサラリーマンが、不審そうにこちらを見た。
午前十時。プレゼンルームには、クライアント側から五人の役員が揃っていた。
周子は深呼吸をして、プレゼンを開始した。
新商品「エターナル・グロウ」は、三十代女性をターゲットにした高級化粧品ライン。コンセプトは「永遠の輝き」。
周子の説明は淀みなく、データに裏付けられた説得力があった。市場分析、ターゲット層の心理プロファイル、競合比較。すべてが完璧にロジックで構築されている。
そして、クリエイティブ案。
スクリーンに映し出された広告ビジュアルは、美しかった。夕暮れの海辺で、一人の女性が鏡を見つめている。彼女の表情は、どこか憂いを帯びていて、それでいて強さも感じさせる。
キャッチコピー:「あなたの光は、消えない」
「......素晴らしい」
クライアントの社長が、感嘆の声を漏らした。
「瀬川さん、このビジュアルは、どういう意図で?」
「三十代の女性は、社会的にも私生活でも、多くの役割を担っています。仕事、家庭、自己実現。その中で、自分自身を見失いそうになることもある。でも、彼女たちの内側には、決して消えない輝きがある。それを引き出すのが、この商品です」
「なるほど......。でも、ちょっと暗くないかな。もっと明るく、ポジティブな印象の方が」
周子は予想していた反応だった。
「実は、A案として、もう一つご用意しています」
次のスライドを表示する。こちらは明るい陽光の中で、笑顔の女性が商品を手にしているビジュアル。
「こちらは、より直接的で明快なメッセージです。でも、私としては、最初の案を推奨します」
「理由は?」
「消費者は、表面的な『幸福』には飽きています。彼女たちが本当に求めているのは、自分の複雑さを受け入れてくれるブランド。光だけでなく、影も含めて『あなた』を肯定する。それがエターナル・グロウのメッセージだと考えます」
役員たちは顔を見合わせた。
長い沈黙の後、社長が口を開いた。
「......最初の案で行こう」
「ありがとうございます」
周子は深々と頭を下げた。
プレゼンは大成功だった。
オフィスに戻ると、同僚たちから祝福の言葉をかけられた。上司も満足げに頷いている。
でも、周子の心は晴れなかった。
デスクに座り、パソコンを開く。メールの返信、次のプロジェクトの準備。いつもの業務をこなしながら、ふと手が止まった。
バッグの中から、柊の名刺を取り出す。
シンプルな白い名刺。黒い文字で「冬木柊」と電話番号だけ。
連絡するかどうかは、君次第だ
周子はスマートフォンを手に取った。
連絡してはいけない。理性がそう告げている。この男は危険だ。関わるべきではない。
でも、指は勝手に番号を入力していた。
メッセージアプリを開く。何を書けばいいのか。
結局、簡潔に打ち込んだ。
「昨夜はありがとうございました。瀬川です」
送信ボタンを押した瞬間、後悔が押し寄せた。
何をしているんだ、私は。
でも、もう遅い。
三分後、返信が来た。
「連絡してくれると思ってた。今夜、会えるかな?」
周子の心臓が跳ねた。
「今夜は......」
そう打ち込みかけて、消した。
今日は裕一とディナーの約束があった。でも、なぜか断りたい気持ちが湧き上がる。
「時間と場所を教えてください」
送信する。
「20時。渋谷のホテル・エクリプスのラウンジで」
ホテル。
その単語が、周子に警告を発する。でも、もう後戻りはできない気がした。
「わかりました」
午後七時。周子は裕一に電話をかけた。
「もしもし、裕一? ごめん、今夜のディナー、キャンセルしていい?」
『え? どうしたの、急に』
「仕事で、急なトラブルが......クライアントとの打ち合わせが入っちゃって」
『そっか。じゃあ、仕方ないね。無理しないで』
裕一の声は、いつも通り優しかった。疑うことを知らない、純粋な優しさ。
それが、周子の罪悪感を刺激した。
「ごめんね。また今度、埋め合わせするから」
『いいよ。頑張って』
電話を切って、周子は深く息を吐いた。
嘘をついた。
完璧な瀬川周子が、婚約者に嘘をついた。
でも、罪悪感よりも、期待感の方が大きかった。
ホテル・エクリプスは、渋谷の高層ビルの最上階にあるラグジュアリーホテルだった。
ラウンジは薄暗く、大人の雰囲気に満ちていた。ピアノの生演奏が、静かに響いている。
周子が入ると、奥の席に柊が座っていた。昨夜と同じ黒いシャツ。でも、今日はネクタイを締めている。
「来てくれたんだ」
柊は立ち上がり、周子を迎えた。
「......約束でしたから」
「律儀だね」
二人は席に着いた。ウェイターがメニューを持ってくる。
「シャンパンでいいかな」
「ええ」
柊が注文すると、ウェイターは頭を下げて去った。
「今日、プレゼンがあったんだろう?」
「......なんで知ってるんですか」
「君の表情を見れば、わかる。うまくいったみたいだね」
「ええ、まあ」
「でも、嬉しくなさそうだ」
周子は言葉に詰まった。
確かに、プレゼンは成功した。でも、その達成感は空虚だった。まるで、他人事のように感じられた。
「......私、おかしいのかもしれません」
「おかしくなんかない」
柊は断言した。
「君は、ただ正直なだけだ」
「正直......?」
「自分の感情に。多くの人は、『成功したら嬉しいはずだ』という社会的な期待に従って、喜んだふりをする。でも、君は本当は喜んでいない。それを認めている」
シャンパンが運ばれてきた。
柊はグラスを持ち上げた。
「君の正直さに、乾杯」
周子もグラスを持ち上げる。乾杯の音。
泡が弾ける感覚が、口の中に広がる。
「柊さん」
「柊でいい」
「......柊。あなたは、何者なんですか。本当は」
「言っただろう。コンサルタントだ」
「それは表向きの肩書きでしょう。本当のあなたは、何をしている人なんですか」
柊は微笑んだ。
「知りたい?」
「ええ」
「でも、知ったら後悔するかもしれない」
「......構いません」
柊はグラスを置いて、周子を見つめた。
「僕は、人を壊す仕事をしている」
周子の背筋に、冷たいものが走った。
「壊す......?」
「企業の不正を暴いて、組織を崩壊させる。人間関係の弱点を見つけて、それを利用する。まあ、要するに『破壊屋』だね」
「それは......違法では」
「グレーゾーンだよ。依頼されてやることもあるし、自分の興味でやることもある」
柊は平然と言った。
「でも、一番面白いのは、個人を壊すことだ」
「個人を......」
「人間の心は、驚くほど脆い。ちょっとした言葉、ちょっとした行動で、簡単に崩れる。それを見るのが、僕の楽しみなんだ」
周子は立ち上がろうとした。でも、柊が手首を掴んだ。
「逃げないで」
「離して、ください」
「まだ話は終わってない」
柊の目が、周子を射抜く。
「僕は君を壊したい。でも、ただ壊すだけじゃつまらない。君が自分から壊れていく過程を、見たいんだ」
「......なんで、私なんですか」
「君が、完璧だから」
柊は周子の手首を離した。
「完璧な人間が壊れる瞬間ほど、美しいものはない」
周子の呼吸が荒くなった。
逃げるべきだ。今すぐ、この場を離れるべきだ。
でも、足が動かなかった。
「怖い?」
「......ええ」
「でも、興奮してもいるだろう?」
周子は否定できなかった。
確かに恐怖がある。でも、同時に、未知のものへの期待感もあった。
自分の中に、こんな感情があったなんて。
「一つ、質問してもいいですか」
「どうぞ」
「あなたは、過去に誰かを......本当に壊したことがあるんですか」
柊の表情が、一瞬だけ変わった。
それは悲しみなのか、それとも後悔なのか。判別できない複雑な感情。
「......ああ、一人だけ」
「どうなったんですか」
「彼女は、死んだ」
周子の血の気が引いた。
「自殺した。僕のせいで」
柊は淡々と語った。
「彼女の名前は、雪村遥。二十五歳だった。僕は彼女を愛していた。でも、同時に支配したかった。彼女のすべてを、僕だけのものにしたかった」
「......」
「僕は、彼女を徹底的に孤立させた。友人も、家族も、すべてから引き離した。彼女の世界は、僕だけになった」
柊の声は、感情を欠いていた。
「でも、彼女は最後まで抵抗した。だから、僕は彼女を壊すことにした。精神的に、追い詰めた」
「......どうやって」
「彼女の価値観を、根本から否定した。彼女が大切にしているものを、一つずつ破壊した。彼女の自尊心を、粉々にした」
周子は吐き気を感じた。
「そして、ある日。彼女はマンションの屋上から飛び降りた」
「......っ」
「僕は、彼女を殺したんだ」
沈黙。
ピアノの音だけが、静かに響いている。
「なんで、そんなことを私に話すんですか」
「君に知っておいてほしかった。僕がどういう人間か」
柊は周子の目を見つめた。
「それでも、僕と関わりたいか?」
周子は答えられなかった。
理性は「逃げろ」と叫んでいる。でも、心の奥底で、小さな声が囁いていた。
この人に、壊されたい
「......わかりません」
周子は正直に答えた。
「でも、一つだけ確かなことがあります」
「何?」
「私は、あなたを恐れている。でも、同時に惹かれてもいる」
柊は満足げに微笑んだ。
「それでいい。それが、始まりだ」
その夜、周子は柊とホテルの部屋に入った。
何が起こるのか、わかっていた。でも、拒否する気にはなれなかった。
部屋は広く、窓からは東京の夜景が一望できた。
柊は周子を抱きしめた。その腕は、優しくもあり、強制的でもあった。
「怖いか?」
「......ええ」
「でも、逃げないんだな」
「逃げられません」
柊は周子の唇に口づけた。
それは、愛情のキスではなかった。支配のキス。所有のキス。
周子の身体は、抵抗を忘れていた。
翌朝、周子は一人でホテルを出た。
柊は先に出ていった。「また連絡する」と言い残して。
通勤電車の中で、周子は自分の身体を抱きしめた。
何をしたんだろう、私は。
婚約者を裏切った。殺人者かもしれない男と、一夜を共にした。
でも、後悔はなかった。
それが、一番恐ろしかった。
翌週、周子の変化は周囲にも気づかれ始めた。 まず、同僚の山田が声をかけてきた。「瀬川さん、最近大丈夫? なんか、疲れてない?」「大丈夫よ」 周子は作り笑いを浮かべた。でも、鏡を見れば自分でもわかる。目の下に隈ができている。肌の艶もない。 睡眠時間が削られていた。柊からの連絡は、いつも深夜だった。そして、周子はその度に出かけていった。 仕事中も、集中力が続かなくなった。企画書を書いていても、柊のことが頭から離れない。 携帯電話が鳴る度に、心臓が跳ねる。 これは、恋なのだろうか。 いや、違う。恋ならもっと幸せなはずだ。 これは、依存だ。 周子は自分が柊に依存し始めていることを自覚していた。でも、止められなかった。 ある夜、裕一が周子のマンションを訪れた。「周子、ちょっと話がある」 裕一の表情は、いつになく深刻だった。「......何?」「最近、おかしいよ。君」 周子は動揺を隠そうとした。「おかしいって、何が」「デートをドタキャンすることが増えた。電話しても、いつも上の空。僕のこと、もう好きじゃないんじゃないか」「......そんなことない」「嘘だね」 裕一の声は、珍しく厳しかった。「君、誰か他に好きな人ができたんでしょ」 周子は答えられなかった。「......ごめん」「やっぱり」 裕一は深くため息をついた。「僕じゃ、君を幸せにできないのかな」「そうじゃないの。あなたは、何も悪くない」「じゃあ、何が悪いの?」 周子は言葉を探した。 でも、説明できることではなかった。どうやって説明すればいい? 私は、自分を壊してくれる男に惹かれている、なんて。「......私が、悪いの」「周子......」「ごめんなさ
それから一週間、周子の生活は表面上、何も変わらなかった。 毎朝七時に起床し、いつも通り出社する。クライアントとのミーティング、企画書の作成、チームメンバーへの指示。完璧に仕事をこなす瀬川周子。 裕一とも、何度か会った。いつものレストランでディナー。いつものような会話。結婚式の話、新居の話、将来の計画。 すべてが、いつも通り。 でも、周子の内側では、何かが変わり始めていた。 それは、小さな亀裂のようなものだった。完璧に作り上げられた自分という器に、ひびが入っていく感覚。 そして、その亀裂から、抑圧されていた何かが漏れ出してくる。 金曜日の夜。周子はまた『Midnight Blue』を訪れていた。 もう三度目だった。理由はわからない。ただ、あの店に行けば、柊がいるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。 でも、今夜も柊の姿はなかった。 カウンターに座り、ジントニックを注文する。バーテンダーは、もう周子の顔を覚えていた。「最近、よく来るね」「......ええ」「あの人を待ってるの? 冬木さん」 周子は驚いて顔を上げた。「......なんで」「わかるよ。あの人と話してから、君の目が変わった」 バーテンダーはグラスを磨きながら言った。「忠告しておくけど、あの人には近づかない方がいい」「どうしてですか」「彼は、人を壊すのが好きなんだ。特に、君みたいなタイプの女性を」「......私みたいな」「完璧主義者。自分を厳しくコントロールしている人。そういう人が壊れる様子を見るのが、彼の趣味なんだ」 バーテンダーの言葉は、柊自身が言ったことと一致していた。「わかっています」 周子は静かに答えた。「でも、止められないんです」「......そうか」 バーテンダーは悲しそうな目で周子を見た。「君で三人目だ」
翌朝、周子は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。 天井を見つめながら、昨夜のことを思い出す。あれは夢だったのだろうか。でも、バッグの中には確かに柊の名刺が入っている。 シャワーを浴びて、いつも通りスーツに着替える。鏡に映る自分は、いつもの瀬川周子だ。完璧に整えられた髪。薄く施したメイク。皺一つないブラウス。 でも、目の奥に何か違うものが宿っているような気がした。「気のせいよ」 周子は鏡に向かって呟いた。 朝食は摂らずに、マンションを出る。駅までの道のりを早足で歩きながら、今日のプレゼンのシミュレーションをする。 電車の中でも、資料を確認する。完璧だ。問題ない。 でも、心のどこかで、柊の声が響いている。「君は、本当は壊れたいんだろう?」 違う 周子は首を振った。隣に座っていたサラリーマンが、不審そうにこちらを見た。 午前十時。プレゼンルームには、クライアント側から五人の役員が揃っていた。 周子は深呼吸をして、プレゼンを開始した。 新商品「エターナル・グロウ」は、三十代女性をターゲットにした高級化粧品ライン。コンセプトは「永遠の輝き」。 周子の説明は淀みなく、データに裏付けられた説得力があった。市場分析、ターゲット層の心理プロファイル、競合比較。すべてが完璧にロジックで構築されている。 そして、クリエイティブ案。 スクリーンに映し出された広告ビジュアルは、美しかった。夕暮れの海辺で、一人の女性が鏡を見つめている。彼女の表情は、どこか憂いを帯びていて、それでいて強さも感じさせる。 キャッチコピー:「あなたの光は、消えない」「......素晴らしい」 クライアントの社長が、感嘆の声を漏らした。「瀬川さん、このビジュアルは、どういう意図で?」「三十代の女性は、社会的にも私生活でも、多くの役割を担っています。仕事、家庭、自己実現。その中で、自分自身を見失いそうになることもある。でも、彼女たちの内側には、決して消えない輝きがある。それを引き出すのが、この商品です」「なるほど......。でも、ちょっと暗くないかな。もっと明るく、ポジティブな印象の方が」 周子は予想していた反応だった。「実は、A案として、もう一つご用意しています」 次のスライドを表示する。こちらは明るい陽光の中で、笑顔の女性が商品を手にしているビジュアル。「
窓の外に広がる東京の夜景が、まるで宝石箱をひっくり返したように瞬いていた。二十八階建てのオフィスビル。瀬川周子は自分のデスクから、その煌めきを眺めながら、また一つため息をついた。 時計の針は午後十一時を指している。周囲のデスクはすでに無人だ。静寂の中、キーボードを叩く音だけが響く。 画面に映し出されているのは、明日のプレゼン資料。大手化粧品メーカーの新商品キャンペーン。三ヶ月かけて練り上げた企画が、ようやく形になろうとしていた。「完璧だわ」 周子は小さく呟いた。資料の隅々まで目を通し、誤字脱字がないことを確認する。レイアウトのバランス、配色、フォントの統一性。すべてが計算され尽くしている。 これが瀬川周子という女性だった。 明治大学経営学部を首席で卒業し、大手広告代理店・東都アドに入社して六年。同期の中で最速でシニアプランナーに昇格した。クライアントからの信頼も厚く、社内では「氷の女王」という異名で呼ばれていた。 冷たいのではない。ただ、感情を表に出さないだけだ。 仕事は完璧にこなす。プライベートも整然としている。三年付き合っている婚約者・大塚裕一は、同じ業界で働く安定志向の男性だ。来年の春には結婚する予定になっている。 すべてが計画通り。すべてが完璧。 なのに――。「......なんだろう、この感じ」 周子は自分の胸に手を当てた。心臓が規則正しく鼓動している。異常はない。体調も良好だ。 でも、何かが足りない。 満たされているはずなのに、どこか空虚な感覚。それは最近、特に強くなっていた。裕一とデートをしているときも、友人と食事をしているときも、この違和感がつきまとう。「疲れてるのかな」 周子はパソコンをシャットダウンし、バッグを手に取った。明日のプレゼンに備えて、早く帰って休もう。そう決めたはずだった。 でも、足はエレベーターホールではなく、非常階段の方へと向かっていた。 深夜のオフィスビルの階段は、昼間とはまったく違う表情を見せる。非常灯の薄暗い光。コンクリートの壁に反響する足音。ひんやりとした空気。 周子は階段を降りながら、自分でも理解できない衝動に駆られていた。 帰りたくない。 いや、正確には「あの完璧な部屋」に帰りたくないのだ。白を基調とした清潔なマンション。整然と並んだ家具。一つの乱れもない生活空間。 あそこ







